黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

時代にそぐわない習慣だども。

 私は自宅に居るときは殆どTVを(時折)観て(殆ど"聴いて")いる。若年世代を中心に、近年ではTVなんぞ所持すらしないっていう生活スタイルも拡がってきているというのに。。”ネガティブなニュースなんか見聞したくもないし、コストに見合わない時間を浪費するだけの娯楽なんじゃないの?"って思う人もいるであろうことは重々承知の上で。でも、だからこそ、”時間の無駄”、寧ろ其れすら楽しみたい、っていう天邪鬼っぷりは三歳児の頃からそうだった、筈。(”三つ子の魂”は冥土のちょい手前までは持ち続けるんだろな。)

 

 そんなら、なにゆえにそんなこと続けてるの?って話だけれど、見聞きするに堪えない世界や日本国内の情勢や事件事故、確実に気分は良くなるわけもないし、正直ツラいなって情報のほうが圧倒的多数だからこそ、その時の自身の感情の揺れ動きや率直な感想を確と自覚しておきたいってのが一番の理由。

 他人に話すときだと空気感を察知して婉曲的に表現してしまうことが少なくないから、忌憚なき意見は先ず自分の中で明確にさせてメモっておきたい。どう感じたかを頭の中で整理して、今後のためになるであろう事柄は書き残しておくなり単純に苛立ってるだけのメモ書きは破棄しておくなりするほうが、承認欲求を満たすことのみが目的のSNS投稿より余程自分の性に合ってるし。静寂や無音の空間とてきらいじゃないし、美術館や図書館で過ごすことも好きだけど、時々雑音を欲してしまうこともあるっていうことも理由の一つなのだけれど。

 

 人それぞれ完全に合致する価値観の相手なんぞいないし、”誰かの好き=別の誰かの嫌い”っていう方程式も彼方此方に転がっているから、人にも自分にも趣味趣向を強要するなんて傲慢だろうからあまり多くは言われんよね。だけれど、だからこそ、一応はおすすめだけしときたい。情報過多で疲弊しがちな現代だからこそ、”ムダや遠回りを楽しむ遊び心”と”感情を咀嚼して内省する時間”は意外とあってもいいもんだよ、と。