黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

占いだとか宗教だとか

本日9月9日は"世界占いの日"だとされているのだとか。

古来では、占いと宗教はリンクする部分があるのだろうけれど、先月から連日引っ切り無しにニュースで取り沙汰されている、旧統一教会の問題もあり、気になったので以下に記事を引用します。

 

占い - Wikipedia

占いと宗教との関係[編集]
増川宏一によれば、いわゆる「当てっこゲーム」は、嘗て神託を伝えるための儀礼であり、そのような呪具としての賽子等が、ありとあらゆる宗教で用いられたらしい。朝鮮には4世紀頃、「占いとしてのばくち」が取り入れられ、1910年に日本によって禁止されるまで、祭礼で巫女が賭場(増川によれば、さいころ賭博の可能性がある)を開き、自己の延長としての財産を賭けて占いを行ったらしい。また、いわゆる将棋やチェス等の盤上遊戯も、元来「天体の動きを真似て、将来を伺う」行為であったらしい[2]。また、神社では「鳥居へ投石をして、乗るかどうかで」占う風習があったという。[3] 旧約聖書イザヤ書には、雲の形を読む卜者(2章6節、57章3節)、肝臓占い、あるいは口寄せによる占い師(8章)、星占いや夢説きをする占い者(3章2節、44章25節)が糾弾[4]され、エゼキエル書21章26節では、バベルの王が、「矢をすばやく動かし、神の像に伺いを立て、肝臓を見て」占ったと書かれている[5]

アブラハムの宗教[編集]
占いは古代から行われてきたが、アブラハムの宗教ではこれを異教のものとして否定している。例えば旧約聖書では『民数記』18章9-14節、23章23節、『サムエル記』15章23節、『エレミヤ書』27章9節、新約聖書では『使徒行伝』16章16-19節、『クルアーン』では4章90節で邪悪な行いとして退けられている。これら三つの唯一神教は共通して占いを悪魔や悪霊のわざとしている。とはいえ中世のキリスト教圏、イスラム世界では占星術が行われていた。現代でもイスラム圏にはコーヒー占いが親しまれる地域があり、欧米でも各種占いが盛んである。信仰者の中にはこの状況を嫌う人も多く、占いがニューエイジ思想や心霊主義とともに非難の対象になることも少なくない。尚預言者は、エフォデと呼ばれる法衣の胸ポケットに入れた「ウリム(呪われた の意)」と「トンミム(完全な の意)」と呼ばれる石のくじを無作為に取って、どちらが出たかで神の啓示を得る,という方法を用いていた。サムエル記14章41節には、預言者サウルがそのように使う様が描かれている。使徒言行録1章26節の「くじ」もそれに類するものと考えられている。[6]

仏教[編集]
『スッタニパータ』360節では占いを完全にやめた修行者は正しい遍歴をするようになる、と語られている。927節では『アタルヴァ・ヴェーダ』の呪法をはじめとする占いや術が、仏教の徒である以上やってはいけないこととして否定されている。

チベット仏教ではサイコロ占いが仏教の教えと矛盾しないものとして行われている。サイコロ占いの手引書を書いたラマも存在している[7]。

文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』という占星術を説く経典があり、これをもとにした宿曜道空海によって日本に持ち込まれている。

観無量寿経』には占いの結果によって親子が疑心暗鬼となり、一国が滅亡の危機にさらされる説話が含まれている。

浄土真宗では占いが無益な迷信として否定されている。

道教[編集]
「術数学」も参照
未来を予知し、物事の可否や良し悪しを判断する卜占があり、方法は多種多様である。多様な方術を『漢書』「芸文志・数術略」の分類法においては天文、暦譜、五行、蓍亀、雑占、形法の6種類に分類される。

正統とされたのは卜筮で、殷代は亀甲占いによって国家の大事を謀り、周代は筮竹占いが流行し、漢代は現在の『易経』が完成したとされる。

雑占のうち、道教と関係が深かったのは杯珓(ポエとも)・籤・扶箕(扶乩・扶鸞とも)である。杯珓は廟とよばれる道士たちが修行する寺院などに常備されている占いの道具である。木や竹製の蛤型をしており、これを2つ同時に投げて裏表で吉凶を占う。籤は日本のおみくじに相当する占いの道具で、杯珓と同じく廟に常備されている。扶箕は木や弓や箕などに、長さがおよそ70センチほどの柳や桃の木の股になった枝の筆を吊るして、砂の入った盤の上に2人がそれぞれ枝分かれしている端を一方は右手で、もう一方は左手で支えながら立てると、神霊が筆に依りついてひとりでに動き神様の答えが書かれる[8][9][10]。

 

占いや宗教の在り方は、詐欺紛いのお金を搾取するのではなく、困っていたり悩んでいたりする人たちを癒やして救済するヒーラーやカウンセラーのような存在たれば良いのに、っと思ってしまう。

勿論、これからの運命を仄めかしてもらうことでワクワクできたり、期待を抱いて上機嫌で過ごせたりする、そんな娯楽に近い気軽なエンタメとして活用しても良いと思う。

 

とどのつまり、ルーツを考慮すると悪徳商法のネットワークとして存在されることは断じてあってはならんだろうて。

情報過多なストレス社会に於いて、占いには新たな希望になり得てほしいと勝手に思ってしまっている。

それだけではあるけど、詐欺の類は存在し得てはならんよね。

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