黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

記すこと。続けること。目指すこと。

ブログを執筆すること。出来得る限り継続するのは、存外大儀なことかも知れん。

記事作成やアクセス数等の結果に伸び悩んだり、公私共に多忙で時間を捻出できなかったり、はたまた単純に飽きてしまったり。

やらなかったり途中でやめたりする理由は幾らでも後付けできるし、強制されるものではないから、語弊は生じてしまうけど、結局はどうでもいいのだろうな、と。

 

誰に読まれるだとか素性がどうだとかを度外視し、道楽を兼ねて意見を吐き出す習慣として書いている立場からすれば真剣さを欠いている部分もあるので、本当に個人の自由の範疇だと思ってる。

(言うまでもなく、実生活を知らない相手を匿名自己保身しつつ傷付けるだとか、その類の下衆な使い方は論外でしかないけど。)

大勢の人の目に触れることを前提とする書き物だったら、表現やら意図するところが正しく伝わるかだとか、全て自己責任で想像力を働かせたうえで執筆しなくてはね。

 

マスメディアに報じられるだとか、Web上にデータを入力やら記録するだとか、何某かの履歴は必ず残るから隠蔽や改竄なんてのは割合すぐにバレるもの。

"お天道様はいつでも見てる"、ってのは子供だましに近い勧善懲悪に思えるけど、僅かな綻びからでも罪は明るみに出るものなんだろな。

 

そんなことをほぼ快晴の空のもと、考えてみた。

正義感は行動理念とするのは或る意味立派かも知れんけど、振り翳してばかりではいかん。

おおらかになりゆるく楽しみ、"自分の為に"いやなやつをも"赦す"こと。ほんとうにだいじ。

まだまだ未熟者にも程があるからこそ、苛立ちや怒りを手放してゆく。

ただ、人の道は外さずにだけはいること。