黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

"最近どう?" など聞かれると、、

"最近どう?" 普段よく顔を合わせる相手でも、久方振りに会う相手でも、割合言いがちな曖昧且つ便利なフレーズと思う。

本当に近況を知りたい場合もあるし、単なる声かけのみでも使う場合もある。

特に意味がない場合であっても、コミュニケーションを角を立てずに円滑にする為には常套句のようなやり取りも有効ではあるんだろね。

 

"うーん、どう…だろ?まぁ、ぼちぼちだなぁ。" 時折そんな返しをしてしまうのは所謂コミュ障と見做されるのだろか?

どうにもテンプレ通りというか表面上だけで気持ちのこもってなさ気な質問に対しては穿った見方をしてしまうので、特段悪意がない場合だったら申し訳ないと感じてしまう。

"なんか、浅いなぁ…。" そう感じると違和感や疑念を禁じ得ず、内心は会話とは逆方向に向かってしまうのでしのびないと屡々反省に至る。

 

HSP気質の人たちにとっては、中身のない会話を知り合い程度の人とするのは苦手と感じる人も少なくない筈。

洞察力や思慮が深く、丁寧なコミュニケーションを好む人たちにとっては、些細な事で大勢で馬鹿騒ぎできる人たちが或る意味では羨ましく、そしてまた或る意味では"めんどくさい"、に近い感情を大なり小なり抱いてしまいがち。

人が嫌いとかそんなんではないけど、徒労感は覚えてしまうことが少なくない。

そう思いつつも、そんな感情を抱いてしまう自分自身にも罪悪感をもって反省だったり自分に対して嫌気がさす。

 

そんな繊細さんたちに対して、多数派の非繊細さんたちは別の意味で"めんどくさい"という感情を抱きがち。

どちらも気質が対を成すからこそ、理解出来ずに派閥やら組織内でのカースト制度に近しいものが自然に出来上がってしまう。

人間は社会的動物だけど、そういうのは芳しくはないんだろな。

 

"理解できないし、めんどくさいから理解しようとすらしない。" これだと思考停止になってしまうけど、そういう人たちこそが多数派になって数的優位を作ってしまう。

理解できないのは元々が他人だから仕方ない部分はあるけど、わからなくても受け容れるとか全否定だけは絶対しない、ぐらいのことはできるじゃろうて?

異文化だったり異質だったとしても、実際に自分の目で見て自分の頭で考えた上で関わるか否かを判断する、そんだけ。

いじめだとか組織内の村八分だとかの旧態依然とした風習が令和の時代でも跋扈しているのは、自分自身の頭で考えることが放棄されてしまいがちだからなのでは?っと痛ましく思う。

 

時代とともにコミュニティも多様化してゆくのはいいことだけど、先入観のみで別世界の人達を毛嫌いしたり、味方と思しき人の言うことだけを鵜呑みにして差別するとか、そんなんは野暮だし即止めるのがいい。

全員が無理して仲良しごっこをしろとは断じて思わないけど、損得勘定だけで取り繕うと自身が徐々に蝕まれてゆくし、案外周りから見てても気付かれて軽蔑の対象になってゆくから、やめよう。そんなつまんないやり方。

 

皆さんが如何程広い世界で様々な人々と日々関わっているかは知る由もないけれど、地球上には近い将来で80億人に到達する程の人が存在しているし、そのうちの何%の為人をどの程度知ることができるだろう?

極論だけど、関わる人数が増えるほど為人は深く知ることは難しくなってゆくだろうしね。

 

殆ど素性の知らない相手だったら自分には知らない顔はほぼ確実に持っている。

例えば、味方だと思っている人が俗に言う"フレネミー"だったり、虫が好かない相手となにかのきっかけで深い話をしたら親友になったり、そんな良くも悪くも予想外の展開が人生に訪れるのはよくあること。

だからこそ食わず嫌いで生きていくと思わぬプレゼントが待っているもの。

 

蛇足ではあれど食べ物は多少は選り好みしてもいいかもしれないけど、嫌いだと盲信していたものが実は好きだと気付けると、それもまた存外楽しいもんだ。