黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

生きるために、必要な無駄を愛すること。

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"時は金なり。" 此の諺は真理なのだろうし、反論の余地も殆どないものと思う。

けれども、無駄な時間の一切が散財に値する訳でもないってことも併せて信じておる次第。

一見すると価値が乏しい行動や消費でさえ、その人の心に齎すものが大きければ、"無駄だ"などと言い捨ててやる筋合いはなくなるから。

 

例えば当て所なく散歩して空いた時間を過ごすこと。

その行為そのものが齎す数字は単に歩いた分のカロリー消費ぐらいだろうけれど、その過程で季節の移ろいを感じたり、新しいお店を見つけたり、珍しい動植物に出くわしたり、思わぬ恩恵も享受できることがある。

そんな付加価値というか散歩に出たからこそ気づくこと、見つけるもの、思いついたアイデア、などなど決して惰性で時間(=金)を浪費するのではなく様々な財産(=経験や発見)を増やすことができる。

それは無駄になるだろか?否、断じて無駄になり得まい、と思う。


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見栄の為に身の丈を大幅に超過した購買で毎月の生活がカツカツだとか、借金を返済するための博打というか賭け事の類を繰り返すだとか。

そんなんやってると人生の余白を楽しむどころか、常に見えない何かに追われて圧迫されて生きている心地がしなくなってくるに違いない。余白がない状態で不要なもののみが敷き詰められて足の踏み場もない感覚、だろうか?

"悪銭身につかず。" 此の諺もまた真理と思う。財産もそうだし、人間関係についても又然り。

出会いも別れも。(或るバンドの90年代の曲を思い出した人もいるかも知れないけど、本当にそうだと思う。)

 

閑話休題。本当に豊かな人生とは資産的価値を持ちそうにないものに対しても価値を見出だせる心を持って楽しめる人生なんだろうな、って信じているし、そういう人になりたいと思いながら日々過ごしている。

時々は心や視野が狭くなり後悔するような言動を取ってしまうけれど、ふと気持ちに違和感を覚えたら一旦深呼吸するなどして自身の本音と向き合うのが良き。

 

突然理不尽被る瞬間がやって来ようとも、冷静且つ毅然とした対応を取る為に人生には常に大事な余白を設けておきたい。

いずれやってくる大事なものを受け容れる為にも、ね。

だから、無駄は、大事。 其れを体現するべく人生を楽しみたい。