黒と白のあいだの

多様性社会で日々生活していく上での彼是をつらつらと書き連ねる

"聖人たちの夜"。祝祭は礼節をもって。

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明後日、10月31日(月)はハロウィーン

コロナ禍も一旦は落ち着き水際対策も緩和されたのも相まって、街は賑わいを取り戻してきてる。

記録的な円安やら物価高騰やら、不安材料は決して少なくないけど、時折は其れ等一切を忘れて気分転換をするも良き。

(この祝祭に伴い、スイーツも期間限定のフレーバーが売られることが何よりも楽しみな今日この頃だけれど。)

 

閑話休題ハロウィーンの本来の意味は、以下引用文にて:

ハロウィン - Wikipedia

ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en[※ 1][※ 2])は、毎年10月31日に行われる、古代アイルランドに住んでいたケルト人が起源と考えられている祭りである[1]。現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャをくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある[2]。

キリスト教の祭ではない[※ 3][※ 4][※ 5]。ハロウィンに対しては、本来、キリスト教にとっては異教徒の祭りであることから、キリスト教教会においては、容認から否定まで様々な見解がある(後述)。

 

概要[編集]
ケルト人の1年の終わりは10月31日[3]で、この夜は秋の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。死者の魂は、幽霊や妖精、悪魔などの姿をしており、家に戻ったときに機嫌を損ねないように食べ物や飲み物を用意しておくのが伝統である。また、子どもが悪魔やお化けなどの怖い仮装をすることで、死者の魂に気づかれないようにしていた[1]。これに因み、10月31日の夜、カボチャ(アメリカ大陸の発見以前はカブが用いられた[4]。スコットランドではカブの一種ルタバガを用いる[5]。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン(Jack-o'-lantern)」を作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリックかトリートか(Trick or treat. 「お菓子をくれないと悪戯するよ」または「いたずらか、お菓子か」)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい、とされている[6][7][8]。玄関のライトを点けている、またはハロウィンの飾りつけをしていると訪問してもよいという意思表示になっており、それにもかかわらず断る家主とは悪戯の攻防戦が繰り広げられる[9]。これはあくまでも電気が点いている家に対してであり、そうでない場合はがっかりして立ち去るのがほとんどである[10]。

カトリック教会の諸聖人の日がハロウィンに重なる形で設定されており、これを「カトリック教会が(キリスト教からみて)異教の祭を取り込んだ」とする見方と、「カトリック教会が(キリスト教からみて)異教の祭を潰すために設定した」とする見方がある[要出典]。いずれにしてもハロウィンは元々キリスト教の祭ではなかったことが両見解の前提となっている(後述)。

 

語源[編集]
Halloweenという単語はロバート・バーンズの詩『ハロウィン(英語版)』(スコットランド人によって伝統的に暗唱される詩)の表題として見られる。
Halloween」または「Hallowe'en」という単語はおおよそ1745年に遡り[11]、キリスト教徒起源である[12]。単語「Hallowe'en」は「聖人達の夜」を意味する[13]。この単語は「All Hallows' Eve」(諸聖人の日〈All Hallows' Day〉の前夜)を指すスコットランドの表現から来ている[14]。スコットランド語では、単語「eve」は「even」であり、これは「e'en」または「een」に短縮される。時がたつにつれて、「(All) Hallow(s) E(v)en」が「Hallowe'en」へと変化した。「All Hallows」という語句は古英語でも見られるものの、「All Hallows' Eve」それ自身は1556年まで見られない[14][15]。


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祝祭や記念日の由来やら古来行なわれていたことを現代に照らし合わせると、ものにもよるけれど大なり小なり禍々しさだったり解し難い宗教的背景だったり、手放しに喜べないものだってある。

また、現代社会でその全てを勘案して仰々しくするのは時代錯誤だと見做され疎まれるだろうことも想像に容易い。

だからこそ、楽しむなら日頃の鬱憤を解消するべく楽しむ。

そのうえで周囲の人達や街の美化には悪影響を及ぼさないことぐらいはして然るべき、っていうのが現代まで継承され途絶えることない文化へのせめてもの礼儀なのかな?っと昨今の繁華街でのイベントに対して思う。

 

筆者が学生時代に通った渋谷、特に懸念されるものがあるからこそ祭りと暴挙の境界は確り線引きして治安の良い東京の観光地として様々な人達に訪れてもらいたいな、っと切に願っている。

思うことは多々あれど、取り敢えず美味しいもの食べて働いて、あと2ヶ月余りの2022年を無病息災で乗り切ってゆく所存。