黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

【共生社会への道】自己犠牲の精神を手放すってこと

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他者や社会へ奉仕する。

それは高尚なことであり、自ら進んで取り組める人は立派だ。

しかし、内心活動してゆく中で違和感や自己犠牲に伴う苛立ちやらを感じているのであれば、いずれ歪みが生じてしまうもの。

そうなると本末転倒だし、表現として語弊は生じるかも知れないけれど、"ミイラ取りがミイラになる"ような結果になりかねない。

 

何故だろうかと日々思う。

周囲への気配りができ慈悲深い人ほど負担過多になったり、搾取されてしまうことが往々にしてあるのは。

人なんて皆未完成だし、誰かしらに迷惑を掛け合わないと生きてはゆけぬものではあるけど、それでも矛盾や不条理が蔓延っているのが世の常。

 

人を救うには先ず以って自分自身が満たされている状態でないといけない、というよりさもなくば共倒れしてしまうから。

どうしたって優しい人は無理ばかりしてしまいがちだけれど、それではいかん。

 

勧善懲悪を説いてしまいたくなるけどそれはさておき、何よりも先ず休養する事の重要性を考え直してほしい。

いつぞ目にした受け売りかは覚えてはいないけれど、以下のフレーズは肝要と思うので記しておきたい。


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" I love you . "を言うには、先ず"I(私)"を最初に言わなければならない。"

日本語では一人称や二人称を言わずして会話を進めるのは容易だけれど、言語を変換するだけでも視え方が自ずと異なってくる事があるもの。

言葉のあやだと思われるかも知れないけど、他人に愛情を持って接するには自分を優先させるのも大事だ、ってことを指しているとも取れる。

 

結局、人間である以上全てに於いて限界はある。

でも、だからこそ、先ずは大事な存在を助ける為に自分自身を労ってあげることが最優先すべきことだ。


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何を差し置いても力になりたい、其の気持ちほ何よりも尊い、けど…ね。

善にこそ余裕が必要。

私自身が社会人として幾許か見聞した世の中は、歪んでいれども僅かな善が存在していて、一縷の望みを見出せるものだ。