黒と白のあいだの

多様性社会で生きる彼是をつらつらと書き連ねる。

【当たり前⇛有難い】幸福感の水準は低いと寧ろ良い

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「ありがとう。」最近、そんな風に感じて言葉に出したのはいつですか?

最初のうちは有難いと素直に思えていたことでさえ、慣れてしまうとそれが当たり前に変容してしまいがちなもの。

どれほど富や名声に恵まれている生活を送っていたとしても、日々感謝を覚えることがないと満たされた気分には到底なれないもの。他人からみて何不自由のない生活のように見えても、本人はそれとは裏腹に空虚感に苛まれていることも往々にしてあるのでしょう。

自分自身の素直な気持ちで、ありがとう、って思えること。それこそが幸福感の最重要因子なんだろうな、ってつくづく思います。

 

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当方も昨年までは生活に於いては特段不自由することなかった一方で、以前の職場での人間関係等々に苛立ちを感じ続け、常に満たされないまま生きていた時期が長くありました。今年に入り生活環境や仕事も様変わりし、恥ずかしながら金銭的な苦労も経験し人生のどん底に近いぐらいに陥りもしました。

苦しい、辛い。でも、だからこそ、幸福や有り難みを感じる水準も大幅に下がったお陰で当たり前だと感じていたことが如何に有難いか骨身に沁みる大きな経験値となりました。

(だいぶ語弊が生じてしまうけれども、)金銭的な苦労をしたことがない人は一度だけでも困窮を体験することで、心もより一層豊かになるのではないかと(誠に勝手ながら)思うのです。


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物騒なことが言いたいわけでは断じてありません。然し乍ら、結局人って頭ではわかっていることでも、自分自身で経験しないと痛みや苦しみが実体験のレベルまでは理解が及ばないものです。

そう、数え切れない程の苦労や失敗や挫折を経験すると他人に対する理解や共感が高まるという側面もあるのです。

とどのつまり、苦労を経験することでそこから這い上がったあとの幸福への感度が向上するもの。若しくは、実際には不自由なく暮らしていても様々な存在や事柄に感謝や敬意をもって生きるほうが良い、っと信じています。

 

不遜や傲慢は、力による支配は一時的にできていたとしても、いつの日か大事なものを失います。「損して得取れ」とは少々ニュアンスが異なるけれど、多少不利益を被ることがあっても、為人を信用してもらうためには道徳心は必要不可欠。綺麗事述べてるだけに思われるかも知れないけれど、先ずは自分が気分良く過ごすために、取るに足りないと感じることにも感謝の心を意識してみてほしい。

格差社会となりつつある日本で気持ちにも余裕のない人々が増えている時勢だからこそ、「ありがとう」こそが人生の潤滑油となり得る、と信じて止みません。